命に限りがある、それを実感することが自分らしい人生をふみだすきっかけになる。




人生には限りがある

世界には裕福な人も貧しい人、子どもから高齢者までどんな人も時間は平等。

ぼくは大学生のころまで淡々と人生は過ぎて行くんだなと思っていた。

そんなとき、母さんが突然の他界。

そのときはすごく落ち込んだし何より自分に何かできなかったのかという想いも強くあった。

普段変わらない日常を過ごしていると何となくこんな日が続いていって。

就職して縁があれば結婚して子どもが生まれ、自分はそれとともに年齢を重ねていく。それまではそんなイメージだった。

母さんのこともあり

人生には限りがある、限られた人生で自分にできることは何だろう

そう考えるようになった。

そのころぼくは、大学に通いながらインストラクターとしても活動していた。

子どもへの水泳指導やサッカー指導、障がいのある子どもとの水泳を通した関わり。

そして、とことん人と関わる仕事に就きたい!!と考え、福祉分野に就職。

畑違いの分野へ進んだなかで

自分で決めたこと、今できないならどうできるように行動していくのか。

20代はそれを考え続け、行動→失敗→チャレンジ・・・を繰り返した。

進めば進むほどたくさんの壁や課題も出てくる。それでも失敗した経験から学び、次に繋げることができた。

これまでに達成したこと

・働きながら通信教育で2つの学校で学び、結果として国家資格を取得

・講師として、教育機関で支援者の養成に携わる

・独立する

・小さくても事務所を持つ

・大学院に通う

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学んだこと

人生には限りがある。

進んでいくなかで分かれ道もある。そのなかで「決断」してぼくたちはまた一歩進んでいく。

何を捨て、何を残すのか」それを決める必要がある。

進むなかで自分の軸である「譲れないこと、大切にしたいこと」に気づくこともあった。

時間には限りがある。

今、大切に想っている人。大事な場所。

ぼくはこれからも手の届く範囲で、できる限りのことをしていきたい。

そう思い、小さな事務所を立ち上げ活動しています。

ときに、福祉分野の支援者。

教育機関や法人で講師をすることもあるし、このブログやツイッターを通しての発信。

一人でできることは限られている。その通りだと思う。

集団だからできることもたくさんある。集団をみると、もとは一人ひとりの集まりなんだよね。

ぼくもこれまでの活動を通して、一人ではできることに限りがあることも実感した。

でも一人で動きだすことこそ本当に自分がやりたい・実現したいことで、それを愚直に続けていくことで仲間が集まってくれることも知った。

落ち着いて取り組んでいるときより、想いだけでも動いて必死に伝えて失敗しながらも行動していたとき、そんな自分を知ってくれている人とは今でもつながっている。

きっとそれが気の合う仲間の作り方なんだなと知った。

限られた時間で、取り組みたい仕事・付き合いたい仲間・人生と向き合っていきたい。

人生は有限。自分の可能性は無限にある。







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