ぼくが福祉の道に進んだきっかけ〜大学時代編〜




今回は、ぼくが福祉の仕事を始めるきっかけを書いていきます。

写真は大学卒業のときのものでお世話になった教授と、もう10年前のものになります。笑

人と関わる仕事につきたい

漠然とそんな想いがあった。

ぼくは鹿児島県の種子島という自然たっぷりの環境で育ち、高校を卒業したら都会へ出ようという想いがあった。

中学校・高校と男子バレー部に入り、高校のときはキャプテンをしていて指導ということに興味を持った。

大学進学で大阪へ出てきてから、子どもにサッカー指導や水泳指導者として関わる活動を始めた。

「指導」それも「一方が指示しそれに従うものじゃなく、どうすれば自発的に取り組んでもらえるか。その声かけをはじめとした指導ができるのか」考えながら実践できる環境があってとてもやりがいがあった。

突然の母さんの他界

20歳のときだった。

地元で母さんが他界した。元々身体も弱かったけど急だった。

もちろん悲しかった。それ以上に、「限られた人生、自分に何ができるのか」

そう考える機会になった。

子どもに元気を与える役割のはずが、こちらが元気をもらっていた

それから大阪に戻ってきて、大学に通いながら子どもへのスポーツ指導も再開。

まだ自分も落ち込んでいたけど「子どもたちの前でそんな様子を見せたらいけない」と指導に当たっているなかで、子どもとの関わりを通してこちらが元気をもらっていた。

後から学んだことですが、これをヘルパーセラピー原則といいます。

ヘルパーセラピー原則とは?

援助する人が援助される人よりも多くのものを得ること。

ある保護者からの一言

障がいのある子どもに水泳指導を3年ほど担当しており、子どもの保護者から

「今は子どもが小さいからいいけど、大きくなったときに居場所があるのか心配」

と話してくれました。

ただそのときの自分はうまく答えることができなかった。

自分自身情けなく、そして申し訳なく感じたのを覚えています。

「人と関わる仕事をしたい」「そのうえで自分に知識も必要」

そんな思いから福祉の分野で働きながら、通信制の養成校にも在籍し学ぶことを決めました。大学では経済学を先行していたので畑違いの挑戦でした。

このときから10年経ちますが今は独立し、活動の一つとして「個別家庭教師コロチャ」を立ち上げました。

・障がいのある、ないお子さんともに受け入れる個別対応のサッカー教室

・社会人向け「社会福祉士」「介護福祉士」「精神保健福祉士」国家試験受験の家庭教師

などの活動にも取り組んでいます。

おわりに

この大学生時代の後に、

〈社会人学生編〉〈講師活動編〉〈現在の独立編〉

と繋がります。

福祉の仕事をしています!というと「高齢者への介護」のイメージが強いようですが、介護職だけでなく相談員や支援員といった間接的な支援が必要な方へサポートを行うことも福祉の仕事です。

そんな福祉の仕事についても、これからの記事で紹介していきますのでお楽しみに!







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